今回は、パラグアイ共和国にあるアスンシオン日本語学校と夕張高校生が、ICTを活用した国際交流をスタートしましたので、どのようなことをするのか取材してきました。
国際交流のきっかけとは
記者
パラグアイアスンシオン日本語学校と夕張高校生が国際交流をスタートしましたが、そのきっかけを教えてください。
先生
パラグアイには、約100年前から多くの日本人が移住していて、その家族が現在も生活しています。そのような中で、パラグアイアスンシオン日本語学校の生徒の中に、夕張市との縁がある方がいたため、今回交流を行う事になりました。
記者
そういう歴史があったんですね!では交流するのは、パラグアイ在住の日本人という事ですか?
先生
そうですね。皆さん日本人なので、日本語での交流となります。交流を行うアスンシオン日本語学校の生徒は高等部9名(15歳から26歳)で、今の生徒たちは日系4世・5世となり、日本文化からも疎遠となっているため、夕張高校との交流の際には、日本の文化なども紹介する予定です。
記者
今回交流は、どのような形で行うのですか?
先生
今回は、パラグアイとの時差がマイナス12時間のため、オンラインの交流になると授業中での実施が困難になることから、ビデオレターやEメールでの交流を予定しています。交流を行う夕張高校生は、生徒会執行部(1年生から2年生)で、現在ビデオレターの撮影を行っています。
生徒会執行部の「伝えたい事」
記者
ビデオレターを作っているという事でしたが、どのようなものを作っているんですか?
生徒
12月から3月までの間で、見学旅行の様子や学校の紹介などをする予定です。また、冬休み期間中は、各自でお正月や夕張市内の様子などを撮影します。
記者
パラグアイとの国際交流では、どんなことを伝えたいですか?
生徒
現在、世界的に新型コロナウイルスが流行しているため、日本とパラグアイは簡単には行き来できませんが、日本に縁のあるパラグアイアスンシオン日本語学校の生徒にも、日本の文化や学校生活を伝え、少しでも日本を知ってもらえたらと思っています。またパラグアイでは、雪が降らないため、ビデオレターでは、豪雪地である夕張の様子など撮影し、新型コロナウイルスが落ち着いたら、ぜひ日本に遊びに来てもらいたいと思います。
今回は、夕張高校吹奏楽部部長の川岸楓奈さんがコンクール(個人の部)に出場しましたので、様子など聞いてみました。
コンクールへ出場
記者
今回どのようなコンクールに出場しましたか?
川岸
出場したコンクールは1月17日岩見沢市民会館で行われた、第42回空知地区管楽器個人・アンサンブルコンテストです。
記者
具体的にどのようなことをするの?
川岸
私が出場したのは個人の部なので、一人でステージで演奏し、審査員の評価によって賞が決まります。
記者
それはすごいね!緊張したでしょ!
川岸
今年は、新型コロナウイルスの影響により観客はいませんでしたが、とても大きいホールのステージで演奏するので、すごく緊張しました。
記者
僕だったら、立つだけで震えちゃうと思う(笑)。結果はどうでしたか?
川岸
アンダンテとロンドという曲を演奏し、結果は銀賞でした。最初は緊張から指がうまく動かせず、銀も取れないと思っていたので銀賞が取れて良かったです。金賞まであと2点足りませんでした。
記者
今回惜しくも銀賞という事でしたが、審査員からの評価はどうでした?また昔から楽器をやっていたの?
川岸
審査員からは、「まとまった演奏だった」「柔らかく美しい音色を作り演奏している」と評価していただきました。楽器は夕張高校に入学してから始めました。小学校から中学校まではバスケットボールをやっていたので、楽器をやったことはありませんでした。
記者
それはすごい!吹奏楽部に入ってから約1年半でソロコンクールに出場して銀賞を獲得したんだね。なぜ吹奏楽部に入部したの?
川岸
バスケ部が夕張高校になかったので、先輩に吹奏楽部へ誘われた事がきっかけとなり入部しました。最初は楽譜も読めないし、楽器も触った事がなかったのですが先輩に教わりながら練習しました。
記者
川岸さんはどのような楽器を担当しているの?
川岸
私はユーフォニアムという楽器を担当しています。
記者
ユーフォニアム? それはどんな楽器?
川岸
ユーフォニアムとは、金管楽器で中音域が出て、温かい音色が特徴の楽器です。チューバより少し高い音が出るため、メロディーを担当することもあれば、ベースを担当することもある音域の広い楽器です。
記者
なるほど!コンクールの練習はいつから始めたの?
川岸
練習は、昨年の11月くらいからはじめました。先生には外部講師として週に2回ほど学校に来て指導していただき、コンクールに向けこの2か月間は部活が休みの時も、練習しました。
記者
限られた時間での練習だったんだね。コンクールに出場して何か得られた事はありますか?
川岸
最初は、人前に一人で出て演奏することは、緊張するし、すごく苦手でしたが、コンクールを経験したことで、今は少し克服しました。また、演奏曲のアンダンテとロンドの「ロンド」はとても速くて最初は絶対にできないと思っていましたが、毎日練習を重ねていくと、演奏できるようになり、スポーツとはまた違った達成感を得られました。
記者
努力の成果だね!今後の抱負はありますか?
川岸
来年のこの時期は既に引退しているので、今回のコンクールで最後となりますが、3年生になってもコンクールで得た経験などをほかの曲でも活かして引退まで頑張ります。
3年A組 北越 舞さん(写真左)※ 小樽商科大学へ合格
3年A組 鈴木 冴奈さん(写真右)※ 弘前大学へ合格
3年A組担任 曽根 大空先生(両方)
今回は、夕張高校から見事国立大学への進学を決めた2人に、これまでの苦労や今後の抱負などを聞いてみました。
合格おめでとうございます
記者
この度は、大学への合格おめでとうございます!
お二人の合格した大学を教えてください。
北越
小樽商科大学 商学部へ合格しました。
鈴木
青森にある弘前大学 人文社会科学部社会経営課程に合格しました。
記者
合格を手にした瞬間、どんな気持ちでしたか?
北越
自分の受験番号を見た時は信じられなかったです。最初は本当に驚きましたが、それと同時に喜びも沸き上がりました。
鈴木
私も自分の受験番号を見た時は心からよかったと安心しました。家で結果を見るのが嫌だったので、発表は土曜日でしたが、学校に行きました。するとそこに居た先生方も大変喜んでくれました。
記者
受験勉強を振り返ってみてどうでしたか?
北越
本当に辛かったですね。受験期間ではずっと我慢する生活をしてきたので、3年生になると時間が経つのが早いと言われますが、感覚としてすごく時間が長く感じました。
鈴木
私もとても辛かったです。夕張では受験勉強など競争感覚がない中で勉強していたので、受験勉強は自分との戦いでした。
記者
北越さんは昨年の9月広報で取材した時も受験期間の真っ最中だったもんね。お二人の合格した決め手は何だと思いますか?
北越
最後までやってきた継続力だったと思います。私は負けず嫌いな性格なので受験期間中は様々なプレッシャーの中で何時間も我慢してずっと勉強してきたので、それが結果に繋がったと思います。
鈴木
私は先生方の講習ですかね。2年生になり大学進学コースを選択してから、講習や課題をたくさん出していただいたり、時には励ましていただいた事が合格へ繋がったと感じています。
記者
なるほど!夕張高校で3年間色々な事を学び、受験を経験したと思いますが、夕張高校の魅力とは何ですか?
北越
夕張高校では人数が少ない分、先生がすごく親身になってくれて、時にはマンツーマンで講習など開いてくれたり受験勉強へのサポートは手厚かったです。また高校魅力化事業でやっているキセキノにも3年間お世話になって、講師の方々には勉強のサポートをしていただきました。夕張高校であっても選べる進路はたくさんあるし、人と人との距離が近いことが魅力だと思います。
鈴木
私も、夕張高校では進学校のように大学を受験する人はあまりいないため競争感覚は薄いですが、逆に先生からの手厚いサポートを受けられたり、仲間との絆が強く一緒に支えあいながら頑張れることが魅力だと思います。またキセキノでも学校へいけない日も塾を開けてくれて、受験勉強をさせていただいたので講師の方々にはたくさんお世話になりました。
記者
最後にこれからの抱負や夕張の子ども達に向けてメッセージをお願いします。
北越
私は語学に興味があり、将来は海外でも働いてみたいと考えています。夕張高校で学んだ事を活かしながら、大学に行って友達を作り色々な事を吸収して挑戦していきたいと思います。そして私は目指す進路が同じでも、今までの過程を考えると夕張高校で過ごせてよかったと感じています。これから受験に挑む皆さんは、勉強はとても孤独で辛いけど自分に負けないで頑張ってください。
鈴木
弘前大学は青森県にあるため4月から北海道を離れますが、大学では友達をたくさん作り、色々な事を学びたいと思っています。また、これまで先生方をはじめ市の方など公務員の方々に支えられていたので、公務員という職業にも興味があります。弘前大学では公務員養成に特化していると聞いたので、意欲的に勉強し、将来の選択肢を広げたいと思います。そして今の中学生の皆さんは進路で迷われているかもしれませんが、夕張高校でも色々な事にチャレンジできるので、ぜひ夕張高校に来てください。